東京地方裁判所 昭和44年(ワ)11126号 判決 1974年3月25日
原告
長谷川真樹
外一名
右訴訟代理人
小林澄男
外二名
被告
中野区
右代表者区長
大内正二
右指定代理人
越智恒温
外一名
被告
青柳輝雄
外一名
右被告両名訴訟代理人
横大路俊一
主文
被告青柳輝雄、同青柳喜久子は各自、原告長谷川真樹に対し金三〇万円および内金二〇万円に対する昭和四四年一〇月一八日以降、内金一〇万円に対する昭和四五年七月四日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員、原告長谷川杢治に対し金七万九八二〇円および内金二万九八二〇円に対する昭和四八年五月二〇日以降、内金五万円に対する本判決が被告に送達される日の翌日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らの右両被告に対するその余の請求および被告中野区に対する請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、原告らと被告中野区の間に生じた分は全部原告らの負担とし、原告らと被告青柳輝雄、同青柳喜久子との間に生じた分は、これを三分し、その二を原告、その余を右両被告の負担とする。この判決は原告らの勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
(一) 被告らは各自、
1 原告長谷川真樹に対し金一〇〇万円および内金二〇万円に対しては昭和四四年一〇月一八日以降、内金二〇万円に対しては昭和四五年七月四日以降、内金六〇万円に対しては昭和四八年五月二〇日以降、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員
2 原告長谷川杢治に対し金二九万八〇〇一円および内金一四万八〇〇一円に対しては昭和四四年一〇月一八日以降、内金五万円に対しては昭和四五年七月四日以降、内金一〇万円に対しては昭和四八年五月二〇日以降、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員
を支払え。
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。との判決ならびに仮執行の宣言
二 被告ら
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。との判決
<以下事実欄略>
理由
一原告長谷川真樹が、昭和四三年六月五日午後三時過ぎ頃、東京都中野区立大和小学校校庭に設置されていた本件ストライズを使用して遊んでいるうち地面に落下したことは当事者間に争いがない。
<証拠略>を総合すれば、原告長谷川真樹は、原告長谷川杢治、長谷川アケミの子であつて昭和四三年六月当時大和小学校第一学年に在学中であつたところ、同月五日、午前中で授業を終えて一旦帰宅した後、午後二時頃弟と二人で学校開放(この制度については後に詳述する)が実施されていた同小学校に再度登校し、午後三時頃には同小学校校庭に設置されていた本件ストライズを使用して遊んでいたこと、一方、青柳佐代子は当時同小学校第五学年に在学中であつた(この点は当事者間に争いがない)が、右同日遅くとも午後三時頃までには授業を終え、下校することなく直ちに学校開放に参加したこと、同女は、ストライズで遊ぼうと思い、午後三時頃本件ストライズの設置されている場所へ赴いたところ、すでに原告長谷川真樹ら下級生数名が本件ストライズを使用して遊んでいたが、同女としては一人で速く廻して遊びたかつたので、同原告らに対しストライズから離れるよう申し向けたけれども、同原告がこれに応じなかつたため、やむなく同原告がつかまつている本件ストライズの反対側あたりに手をかけてそれまでよりかなり速く廻し始めたこと、そのため同原告は相当強く振り廻され、そのはずみにアスファルトで舗装された地面に落下転倒して後頭部を打撲し、頭部外傷、頭蓋内軽度出血の傷害を負つたこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、本件事故は、子供の遊戯中に生じた事故であるとはいえ、青柳佐代子の所為には粗暴な点があつたことは否み難く、子供同志の遊びに通常伴う偶然的事故とは認めがたいので、同女の行為は違法性を免れないものというべきである。
二そこで、被告らの責任につき順次判断する。
(一) 本件ストライズを含む大和小学校の施設が被告中野区の設置管理する公の営造物であること、本件ストライズの設置場所の地面がアスファルトで舗装されていたことは、原告らと被告中野区との間で争いがない。
そして、<証拠略>を総合すれば、本件ストライズ(回転塔)は、一本の支柱の天頂から数本の鎖で直径数メートルの円形パイプを吊り下げた形状の遊具であつて、この下端のパイプ部分に両手でつかまり足で地面を蹴りながらこれを回転させて遊ぶものであるが、小学校の児童生徒の遊具としては滑り台、ブランコ、低鉄棒等と同様極めて一般性を有するものであること、中野区内の公立学校の校庭は地域住民の希望もあつてその殆んどがアスファルトで舗装されているが、これに伴つて本件ストライズの設置場所もアスファルトで舗装されたものであること、なお、大和小学校においては、新入学児童に対しては体育授業その他の機会にストライズ等の遊具の使用方法につき指導を行つているが、高学年生徒に対しては特にこのような指導をしていないこと、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
前叙のようなストライズの構造および使用方法からみれば、児童生徒が操作遊戯中にパイプから手をすべらせて落下転倒する危険がないとはいえないが、この程度の危険は、遊具である以上は、如何なる遊具についても避けえないものであること、そしてこのような危険のみを考慮する場合には足場を砂場等の軟弱な地盤とすることが好ましいといえようが、その場合には足場に凹凸を生じ却つてこれにつまづいて転倒する危険が増大するおそれがあることが考えられるから、本件ストライズの足場をアスファルトで舗装することにより固定したことをもつて本件ストライズの設置または管理に瑕疵があつたというをえない。なお本件ストライズの足場を土面のままにしていたならば、原告長谷川真樹が、本件事故に遭遇しても、傷害を受けなかつたか、またはその傷害が軽度のものですんだということを推認できる証拠もない。
さらに、本件ストライズの使用について、高学年の生徒と低学年の生徒が一緒に使用するときは、体力に差があるため本件事故のような危険がないとはいえないが、かかる場合に備えて教諭が高学年生徒に対しふだんに注意を与えなかつたことをもつてストライズの設置または管理の瑕疵とはいえない。けだし営造物の設置管理についての瑕疵は、物的設備そのものについての瑕疵をいい、人的措置についての瑕疵はふくまれないものと解すべきであるからである。
よつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。
(二) 次に、本件事故が青柳佐代子の違法な所為に起因するものであることは前示のとおりであり、同女が当時小学校五年生であつて行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えていなかつたこと、堀越三郎が大和小学校の校長であり、永田耕造が青柳佐代子の学級担任教諭であつたこと、は原告らと被告中野区との間で争いがない。
そして、<証拠略>を総合すれば、青柳佐代子は本件事故当日午前中で所定の教科の授業を終え、午後からはいわゆる特別教育活動に従事し、美化部の一員として校庭の清掃用具の点検整備等の作業を行つたが、遅くとも午後三時頃までには右作業を終え、当日の課程を全て終了したこと、ところで、大和小学校の校庭施設はその頃すでに学校開放下にあつて、同小学校の児童生徒のために遊び場として開放されており、かつ、高学年生徒については放課後下校することなく学校開放に参加することが許されていたので、青柳佐代子は放課後直ちに学校開放に参加し、本件ストライズで遊んでいた際前示のとおり本件事故の発生に関与したものであること、が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、進んで学校開放制度につき検討する。
<証拠略>を総合すれば、近年都市部においては人口の急激な過密化に伴い子供の遊び場が不足する状況になつたが、子供の人格形成および身体発育過程において遊びが極めて重要な意義を有するところから、子供に安全な遊び場を提供する役割を担うものとして学校の校庭開放が考察されたこと、右制度の主旨は、何かと制約の多い学校教育とは異なり、子供にできるだけ自主性、創造性を発揮させる場すなわち自由で安全な遊び場を確保することにあること、被告中野区においては、昭和三八年八月区立小学校二八校中二〇校が土曜日の午後と日曜祭日休業日に開放され、次いで昭和四〇年四月には区立小学校全校につき年間無休の開放が実現されるとともに、留守家庭児童の保護指導も合わせて行われることになつたこと、なお、学校開放の管理運営を統轄するのは被告中野区教育委員会であるが、各学校において直接の指導管理を担当するのは当該学校の校長、教諭ではなく、専任の学校開放指導員であること、そして、学校開放指導員は、被告中野区教育委員会によつて一定の有資格者のうちから任命され、各学校に二名宛配置されているが、その主たる任務は、前述の制度目的に副つて、児童生徒の施設利用を妨害する外部からの侵入者を排除して安全な遊び場の確保に努めるとともに自転車の走行や野球、ソフトボールのような他の施設利用者に危害を及ぼすおそれのある遊びを制止する等して随時児童生徒の遊びを指導すること、学校施設の管理、運動用具その他の備品の保管貸出しに当ること等であるにとどまり、児童生徒の遊びに積極的に介入したり、始終遊びに立会つてこれを指導監督したりすることは期待されていないこと、ちなみに、大和小学校に配置されていた学校開放指導員二名は、本件事故発生当時いずれも留守家庭児童の世話に当つていて事故現場にはいなかつたこと、が認められる。
もつとも、<証拠略>(区民便利手帳)には、「開放中は指導員が危険のないよう世話をしています」、との記載があり、また、<証拠略>(中野区学校開放実施要綱)には、指導員の職務は開放中の利用者の事故防止と指導育成及び学校施設の管理に関すること、との記載が見受けられるけれども、前述の学校開放制度の主旨目的に照らし合わせると、これらの記載内容は右認定の趣旨に理解するのが相当であるから、少しも右認定を妨げるものではなく、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の認定事実によれば、本件事故は、青柳佐代子が全ての授業を終えて教育の場としての学校の管理を離脱した後、学校開放に参加していた際に発生したものであるから、校長および同女の担任教諭はもはや父母に代つて同女を監督すべき地位にはなかつたものと認めるべきであるし、一方、学校開放指導員は、学校開放に参加中の児童生徒につきその生活関係の指導監督まで委託されていたわけではなく、前述のとおり限られた職務を担当していたに過ぎないから、そもそも父母に代わる監督義務者たる地位にはなかつたものというべきであるうえ、右の限られた職責の範囲内においても、本件事故発生当時事故現場にいなかつたことをもつて直ちに義務の懈怠と見ることも困難である。
したがつて、原告らの被告中野区に対する請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
(三) 本件事故発生当時青柳佐代子が小学校五年生であつて行為の責任を弁識するに足るべき知能を備えていなかつたこと、被告青柳輝雄、同青柳喜久子が青柳佐代子の父母であることは、原告らと右両被告との間で争いがない。
そして、以上に述べた経緯によれば、学校開放に参加中の青柳佐代子に対し監督義務を負つていたのは、結局同女の親権者である右両被告というほかはないから、右両被告は各自本件事故によつて原告らが蒙つた損害を賠償する義務を負うことになる。
三次に原告らの損害につき判断する。
(一) <証拠略>を総合すれば、原告長谷川真樹は、昭和四三年六月五日本件事故により後頭部を打撲し、暫らく休憩した後歩いて帰宅したが、帰宅後家人に頭が痛いと訴えたほかは別段変つた様子もなく、同夜は普通に就寝したこと、ところが、同原告は翌六月六日午前四時頃三八度五分に発熱し、午前六時頃からは嘔吐を一〇回前後も繰り返す状態になつたため、同日午前中小池小児科医院で診察を受けたところ、脳内出血の疑いがあり、さらに精密検査が必要である旨診断されたので、続いて社会保険中央総合病院脳神経外科で受診し脳脊髄液検査を受けた結果、頭部外傷、頭蓋内軽度出血の傷害により約一〇日間の入院加療、経過観察を要する旨診断されたこと、そこで、同原告は直ちに同病院に入院し、安静を保つ一方、止血剤、副腎皮質ホルモン、脱水剤の投与等の治療を受けたこと、同原告は入院後一週間位は時折り軽度の発熱症状を呈したり、また同期間中頻尿を来たしたことから膀胱炎あるいは外傷性尿崩症の疑いが持たれたりしたが、各種の検査治療を受けた結果症状が軽状し、六月一九日同病院を退院したこと、同原告は右退院後六月中は自宅で静養し、七月初め頃から再び登校するようになり、プールに入ることも許されるに至つたが、なお八月下旬頃までは医師の指示により一〇日に一回程度の割合で右病院に通院したこと(実通院日数五日)、そして、同原告はその後暫らくの間症状が小康状態を保つていたものの、九月末から一〇月頃になると不眠、身体の震え、手の痺れ、頭痛、肩疑り、複視(物が二重に見えること)等の症状を訴える一方、担任教諭からは耳が聞こえにくい、顔が腫れているなどの指摘を受けるようになつたので、引き続き同年一二月中旬頃まで右病院に通院して治療を受けたこと(一〇月以降の実通院日数五日)、この間原告長谷川杢治は入院費治療費として金二万二八三〇円を支出したこと(なお、<証拠略>各記載の各金額は、いずれも歯科関係の治療費であつて、本件事故との間に相当因果関係を認めることは困難である)、その後昭和四四年一一月頃原告長谷川真樹は再び複視、疲労感等の症状を訴えるに至つたので、右眼科的疾患につき阪大病院眼科および二、三の眼科医院に、また、内科的疾患につき佐野小児科医院にそれぞれ通院して加療したこと、原告長谷川杢治はその頃右小児科医院関係の治療費として金六九九〇円を支出したこと、さらに原告長谷川真樹は、昭和四六年一一月頃から再び前記社会保険中央総合病院に通院し、加療と併行して精密検査を受けた結果、同年一二月中本件事故における頭部打撲の後遺症がなお残存し、これが障害等級一四級に該当する旨の診断を受けたこと、同原告は現在でも左右の裸眼視力がそれぞれ0.5ないし0.6に低下しているうえ角度によつて複視症状を訴える状態であり、また運動能力にも若干の低下を来たしていること、が認められ、<証拠判断省略>ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
なお、右認定事実によれば、原告長谷川杢治は、右認定の入院費治療費以外にも、原告長谷川真樹の社会保険中央総合病院への入院通院に伴う諸雑費として、あるいは眼科関係の治療費等としてそれぞれ相当額の支出を余儀なくされたであろうことが推認し得るけれども、進んで右支出の具体的内容については、原告長谷川杢治本人の供述のみによつては到底これを肯認するに足りず、ほかに首肯し得る証拠はない。
したがつて、原告長谷川杢治の支出した医療関係費は、社会保険中央総合病院関係の入院費治療費金二万二八三〇円、佐野小児科関係の治療費金六九九〇円の合計金二万九八二〇円となる。
(二) 原告らが本件事故後の昭和四三年八月二八日中野区内の従前の住所地から練馬区内の現住所地へ移転したことは当事者間に争いがなく、原告長谷川杢治本人の供述によれば、原告らと大和小学校関係者および被告青柳両名との間に本件事故に関する責任追求ないしは損害賠償請求の事態が発生し、これが右転居の一契機となつたことが窺われなくもない。
しかしながら、右のような事態が発生したからといつて、大和小学校においてはもはや原告長谷川真樹に対する正常な教育を期待できなくなるというわけのものでもないから、本件事故と右転居との間に相当因果関係を認めることは到底困難であつて、原告長谷川杢治の転居に伴う費用の請求は理由がない。
(三) 原告長谷川真樹の傷害および後遺症状の部位、程度、治療の経過、本件事故の態様等を勘案し、かつ、前述のとおり治療費等の支出に関する立証が必ずしも十分でないことを合わせ考慮すれば、同原告の精神的損害に対する慰藉料としては金三〇万円が相当である。
(四) 原告らが原告ら訴訟代理人に本訴の訴訟行為を委任したことは本件記録上明らかであり、右事実に弁論の全趣旨を総合すると、その際原告長谷川杢治が報酬として金五万円を支払う旨約したことが認められ、本件事案の内容から見て本件事故と相当因果関係にある損害は同じく金五万円と認めるのが相当である。
四以上の次第であつて、原告らの被告青柳輝雄、同青柳喜久子各自に対する本訴請求中、原告長谷川真樹の慰藉料金三〇万円および内金二〇万円に対する本件不法行為の後である昭和四四年一〇月一八日以降、内金一〇万円に対する同じく本件不法行為の後である昭和四五年七月四日以降各支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、また、原告長谷川杢治の入院費治療費金二万九八二〇円、弁護士費用金五万円の合計金七万九八二〇円および内金二万九八二〇円に対する右医療費支出の後である昭和四八年五月二〇日以降、内金五万円に対する本判決が右両被告に送達される日の翌日以降、各支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、の支払を求める部分は理由があるから認容し、原告らの右両被告に対するその余の請求および被告中野区に対する請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九三条、第九二条、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(鰍沢健三 黒田直行 安倉孝弘)